日記

思っていることや思い出したことを書きます。たまに絵も描きます。

日記2023/4/16 ケイコ

 

「ケイコ 目を澄ませて」が、やっと近場で上映されることになったので観に行った。

個人経営の映画館で、いつ行ってもあんまり人がいない(「シン・仮面ライダー」も公開直後に行ったけど、自分を入れて2人しか観客がいなかった)のだけど、今回は8人くらいいてびっくりした。やっぱりみんなこの作品の評価を聞きつけて来たんだろうか。この映画館に来ると、4回に1回くらい、自動販売機で「牛乳屋さんのコーヒー牛乳」を買う。銭湯とかサービスエリアとかによくある小さい氷がざらざら入った紙コップに注がれて出てくるやつだ。

肝心の「ケイコ 目を澄ませて」本編だが、最初から最後までずっと胸が詰まっているような気持ちで観ていた。ずっと潜水していて息継ぎができない感じだった。じっと耐え続ける感じ。それが、物語が進むにつれてだんだん「琴線に触れ続けて苦しい感じ」になっていく。同じかどうかは知らないが、最前列で観ていたオッサンが中盤くらいから嗚咽混じりのけっこうデカイ泣き声をあげ始めたのでちょっと笑いそうになった。おいおい大丈夫か?と思うくらい感極まった嗚咽が聞こえる。めっちゃ鼻啜る音聞こえるし咳き込んでる。でもそれもしょうがないわ、と思う内容だった。ふーんそっかーふーんって感じで見ていたらとつぜんあれっ?て涙がぼろぼろ止まらなくなる作品ってあると思うのだが、本作がそうだった。帰るとき濡れたマスクが冷たくて不快だった。最前列のオッサンのことを考えて、何歳になっても老いても、感情を揺らし続けることができる人でいたいと思う。

監督が「きみの鳥は歌える」(2019)と同じ人だと知っていろいろ腑に落ちた。

おのれの琴線に触れる作品であることはわかるが、なにがどう触れて“そう”なったのかが観終わったいまもあまりうまく説明できない。そんな映画が自分の中にはたくさんある。心の中にしつこく残り続けているけど宙に浮いたままになっていて、根を下ろしていない感じ。自分の手の中に落ちてきてない感じ。そのせいでいっそう、その映画体験が無闇に神格化されてしまっている感じ。そんな映画がたくさんある。でもいつかどこかでなぜその作品が好きなのか言語化することができたら、たぶんそのことが自分にとってのものすごい勇気になる。どう好きなのか説明する手段を手に入れられたら、それが自分の中の大切な目印になる。そんなふうに思う映画がたくさんある。その一つになった。

映画が終わって放心状態になっていたので、ちょっと散歩した。通りの看板や店並びに惹かれるままに。歩いていくと猫に出会った。店先でくつろいで毛繕いしている。近くに寄るとあんまり逃げなかった。ので触った。平然としていたので、ああ人に可愛がられ慣れてる猫だな、人間が自分のことを好きなことを知ってる猫だなと思った。

もうすこし歩くと鳩に出会った。2羽が二列に並んで歩いていた。えらいなーと思った。立ち止まって上を見ると雲がきれいに散っていた。

前来たことのある雑貨屋がなくなって、飲食店になっていた。穴場ないいお店だと思ってたんだけどな。でもどこかに移転したのかもしれないし。

花を買おうと花屋に立ち寄った。見ているだけで満足して、なにも買わなかった。

家に帰ってきて坂本龍一を聴いた。本当にいい曲だなあと思うばかりで、少し苦しくなったのでNetflixで「ミッドナイト・ゴスペル」を観て気持ちを均した。